神の理論 ≪theory of god≫ 神の技法 ≪technique of god≫

悪気
の有る不公平より、悪気の無い不公平だから、い~人♪」「狼少年や人食人種じゃあるまいし、文明社会に育ち、前提たる事実を知っていて、悪いと思わないなんて、どんな人格形成してんだ。」不公平を意識する可能性があるなら、成功のイメージ基準を乗り越えて肥大化する。あの世の違法性の意識論。

惚れる
「教えを信じてます。」「何かいるとは思います。」でなく、ソコまでゆかないと、信じた事にならない。しかし、単なる存在でもなく、恋愛とも、ご利益とも違うのは、分野の憧れのスタアその技術の高さや能力に惚れる感じ。どんなにホレても、実在神は自己基準。だから、ヒントや機会はくれるも、≪夢の実現は、自分の力でやれ≫の世界。

裁量
薄々お互い「逃げるか、戦うか…。」で対立するも、橋○師範の行政裁量論は、行政法の基礎の基礎にしても、習う気満々の学生相手じゃあるまいし。「酷い方に味方する気か。」の(公平っぽい)熊八価値判断に圧され、フツ~、あそこまで、明確に、学生も眠る、退屈な(高度公平調整の)法技術を一流メディアに説得できない。大秀逸どした。

常識
小説やドラマに影響されて「恋愛は、死ぬ程の情熱であればあるほど、美し~♪」な感じで、美人女優が仕事スッポかして、逃避行したりすると、「情熱的で、それもありか…。」と思ったりもしたけど、小説やドラマの技術のイメージや週刊誌やワイドショーのスクープ、ストーカーの大義名分になるのは別にして、ソレって、霊的には、単に他者基準の状態だからね。

説得
弁護団のご苦労も分るんだけど、昔、つくづく感じたのが、「余りに霊界に無知で、この世の常識で、あの世の非常識を問う限界。」と、感情に訴えない、沈着冷静な方が、裁判所ウケはするが、橋○師範みたいな政治的表現力がないと、多衆の説得力に欠ける。因みに、相当面白く、先進的な問題提起や専門性がないと、影響力のある多数のセレブには相手にされない。

霊話
って「ホントかウソか。」「インチキか。」はゆ~けど、ホントとしたら、全部同じに見える不思議。常識的に、人間だって、立派な方もいりゃ、アホもいるだろ~に。「祖先が悲しんでる。供養しなきゃ。」 ≪余を供養? そんな暇ありゃ自分の事を考えろ≫ よりは、死んでまで、この世に【苦しい、救ってくれ】そのアホと繋がってる話の方が面白いし、世間が騒ぐ。

献金
事業を始めるから投資してくれ、半年で倍にして返す。」は、怪し~けど、まだ分る。【苦し~から献金してくれ、天国に行って倍返し♪】怪し~の通り越して、子供でもゆ~「信教の自由です。」「自由意思です。」でなく、公平な共同社会の社会人が、ど~ゆ~説明責任を果たす気かあの世を汚す不公平に加担した輩が、その不公平な幽体が、超公平なあの世で、反射されたゆく先は…。

自由
権利の中でも、憲法上の自由や権利。即ち人権は、他者の人権との公平調整以外の理由では、国家権力でも侵せない。その中でも、思想・良心の自由、信教の自由は、内面に於ては絶対自由。ところが、その絶対自由の領域に、神が介入して来る。公平調整して来る。積極的に調整してんのか、消極的に放置してんのかはさておき、不公平な思いを抱くと、戒めや反動となって現れる。しかし、かなりお上品な識者も、体裁、法律、大義名分に沿ってれば、後は、不公平のタレ流し状態。その現象に気付かず、反省がないと、神の強制力が働く。立場に比例して。神法学における自由とは、公平になる自由

教え
善悪の道徳とも、宗教の教義とも違う。エネルギー世界。し~てゆ~と、念や公平概念を入れる事で、あの世は、古代神を無意識に忌避する現代メディアも「そ~ゆえば…。」納得する、合理的システマチックな姿を見せる。例えば、不公平な思い(幽体)を抱くと、不公平に肥大化し、それが(愛する身内や友人であっても)相手を倒したり相手の高度霊体に反射されたり。また、霊体の力や指導が、肥大化した幽体から外に出力されなくなり、思念域内部で自身の魂や指導神に反射されたりする(返り念現象)。神法学の基礎の基礎。

読む
能力があるって事は、便利なよ~でいて、他者や他霊の念が、直接、肉体や思いに掛かって来る事で、コントロールできない若い頃は「他者が気になる。」どころじゃない。「自分が自分でない。」状態。特に、プライドが高く、少し傷付くと「あの野郎…。」直ぐ上に訴えたり、他者基準のお手本みたいな性格だったから、実在神なんか信じたら、コテンパン。ただ、その訓練のお蔭で、コントロールできるよ~になった。霊媒体質や犯罪者ほど、更生すれば高度霊能に変わる素質はある。ま、そんなヤバイ、変態能力よりは、自分の正業や家庭で、他者との公平調整を訓練する事だな。

告発
大事件で仕方なく、視聴率狙い、時宜を得たか、「神や霊はよく分らんが、この部分では、やれる♪」と思ったのか。それとも、正規メディアの本義、「公平な社会の実現。」に気付いたか。メディアは批判するけど、問題なのは、同業の大宗教家や団体が、昔から、シレっとしてる事。となると、一般の人は、「供養、献金、因縁、修行…。忖度した信者のやり過ぎの問題で、霊的、神仏的には、間違ってないのかな…。」と判別できなくなる。大既成も、最初は過激な新興宗教、似たよ~な話が出て来るのを恐れてか、未だに、似た様なことやってるから、腹を探られないよ~にしてんのか。営業的理想は同じなのか、霊的に全く無知なのか…。

集票
下心は、誰でもあろ~が、1997年当時、「SCが読んでくれるかな。こんなもの出したら、会規違反とか因縁付けられて、退会扱いになるんじゃね…。」とビクビクしてたこの話が、映像から霊体意識を読める俺にして「ホンマかいな…。」当時ゆったら、一流メディアが自分で読みつつ「誇大妄想だ!」ネタになるレベルの、いきなり大政治家に行ったのには驚いた。しかし、今だに、この話は、集票とは無関係。素直なのか、興味本位なのか、何でも神頼みの依存性格なのか。フツ~は、失敗しても、自分が反省して、回りにお詫びしたら終わり。しかし、激し~利害対立で「殺すぞ。」の世界。命張って、最高度の地位に上り詰めたが、これといった神仏の力も感じない。なのに自分で公平調整の決断しなくちゃいけない、ご立派な主張のメディアも、人間の利害対立を超える公平調整のアドヴァイスはない。誰にも頼れない高位の性

公平
は、平等より、調整のイメージが入る。でも、何となく、「人は違って皆同じ。」個人の尊重概念「皆同じ。」部分が強調されて、「1位もビリも同じ人間♪」で、「運動会で順位はつけない…。」話(実際は、勉強で順位を付けるから、親睦的な運動会くらい、プレッシャーを排してらし~けど。)のイメージになって「不幸や災害の時にスポーツやお笑いなんて…。」となるんだけど。それは、緊急時に扱う優先順位の問題で、生れ持った素質や環境のアドバンテージはあれ、それをより生かした、1位の努力はど~なるんだ。確かに、人生全般の問題で「1位より2位の方が生涯集積が低い。」なんて単純評価ではないし、細部に不公平な問題はあれど、練習や本番の時にミサイルが飛んで来る訳でもない。その環境で、相当程度に公平なルールなら、そこで頑張らない奴は、神の設定した環境に対して傲慢。不公平。そもそも、集積しない。