神の理論 ≪theory of god≫ 神の法学 ≪jurisprudence of god≫

本気
で、真剣に「深刻…。」ではなくて「楽しむ♪」何が何でも、楽しむ

理想
より、現実の方が…。」で、何で、読んでる訳。この話に期待してる訳? 自分有料ギャラリーで…。


他人の子も自分の子も同じ、極限の母の公平感。サウンド…のマリアの愛。確かに、その公平調整は、大変だけど、ソコが基本の難しさに挑む、校長大好きチャレンジ精神

楽しむ
「法は道徳の最低ライン…。」分野合法の下、フツ~の人を、騙したり、奴隷にしたり、殺したりが当り前になってるから、感じないだけで、他分野は、最低から上が当然自由に邁進できる、より楽し~公平な社会に、夢や希望、可能性を与える分野。

専門
分野の、各論の、論点の、公平調整は凄まじい。(総量的に)とても敵わない。しかし、総論(全体)の方向性となると、大政治家や大宗教家(総量的に)とても敵わない。お互い公平。(私も大神(おほかみ)のウケウリ)。さらに、大神には(総量的に)敵わない。

反抗
個人的価値判断が優先し出すと、アイドルの名前も知らない高名な学者が、出版社に背中を押され、(お笑いキャラの顔芸写真は大嫌い)反抗アイドルキャラのやさぐれポートレイト添え「私の視点が、世界の最先端♪」とばかりに、大衆相手に、見るからにバズリ言動の論文を書くよ~になる。

常識
「法律家には常識人が多い♪」と、夏休みの宿題、大名作「法における常識」を読んでの感想文。お得意の芸能話を絡め「面白い♪」と評価され、最高点で、回りに自慢してたけど。実は結局、回りと同じ、何ゆってるか分らんかった。今読み返すと、先生も(著者も?)分ってたとは思えない。公平調整とは…。

ポッ
幼い頃から「私が正しい!」親父の薫陶受けて、正しさ求めて? 霊能や芸能やりつつ、宗教やって、〇道やって、法学やって、エアロやって、やっと、≪技術のイメージ≫≪自己基準≫概念が入って来る。「正義や自由じゃないのか、何だそれ…。」混乱しつつ、戒め、反動、模索の日々。最後に、≪公平≫と入って来る。何となく法体系が見えて来る。

表象
独裁国は「私んトコ独裁♪」ゆわないし、共産国も「も~けても没収♪」イメージで「社会…。」程度でお茶濁して、余りゆわない。一方、民主国は、自由・民主・人権なんか、普段、考えてもない。になりゃ、何でもい~んで、どっちかって~と大嫌いでも、堂々、元気にゆ~。その点、普段「愛してるなんて、ケッ…。」だけど、愛国は、各国共通。霊的にど~のゆ~より、言葉のイメージの問題。

択一
正し~か間違いか、択一式の評価で、世の中渡ってる人は、間で悩まない分、決然としてカッコい~し、間違ってたら、決然と反省…できたら理想的だけど。実情は、正し~と、「ど~だ、優遇しろ。」と威張るし、間違っても、「正し~のに…。」意地になって、反省できなくなる。内面と公平調整しない分、成功のイメージに憑かれ、集積もしないので、霊的には、極めて非効率。あの世と基準が違うので、あの世で、初めての水泳

法学
判例についてレポート書かすと「合憲は可哀想、酷い…。」感想文になる。何処が感想文かとゆ~と、単に、個人的価値判断の世界だから。そ~ではなくて、採用した法律や、それを解釈して出した基準が公平か。基準に対する事実の評価が公平か。その証拠から、その事実を認定する事が公平か…。「それが不公平だから酷い判断。」でなければレポートにならない。しかし、大部分の感想文を読んで、「学生は、こんなもんか…。」程度で、そ~教える先生は、100人中1人もいない。法学には、小中高が無いので、当り前の事(空気の吸い方)は、昔から、教える発想がない。できる奴だけできれば良い世界。勢い、公平の先生でありながら「こっちが高学歴、高収入♪」「こっちが正義だ!」個人的価値判断の方が優先して来る。生徒もクライアントもそ~なる。社会もそ~なる。その点、神は、全智全能から見て、学生以下の猿や金魚に、法の基本(根本・本質)から、段階を追って、丁寧に? 教える。高度でも、難解でもないが、余りに基本過ぎて、教えられる方は(特に、上ばかり見てると)、宗教家でも、法律家でも分らない。「こんな優秀で、褒められて、モテて、正し~のに、戒めが。悪霊ちゃうけ。」の国際神法学、フィットネス・スキル・イマジネーションの楽し~世界。

治る
「どんな金持も英雄も人気者も、病弱じゃね…。」って事で、霊話の中でも、一番気にする話だろ~し、「神の力。」として、一番求められるモノだけど、師匠は、教養がねぇから、神や霊の話だけしてりゃい~モンを、自分の編み出した民間療法みたいな話と一緒にして、俺ですら、最初は、怪しく感じた。金採らなくても、ストレートにゆっちゃうと「信じて、医者止めたのに、悪化した、許さない、訴える!」怪し~民間療法の末路。よって、調整して、数年に一度、それとなく書いてる…。
①施術(高度霊能者)側 下層霊念による不注意でも、交通事故はダメ。現代医学でも原因不明や「長過ぎる…。」後遺症等、下層霊念の障りなら、多少物質化しても、特に遺伝子系は、百発百中。完全に物質化したり、生活習慣病は、ダメ。
②受術(高度霊患者)側「治せよ。」ではなく、自己基準で「力を下さい。」と、少なくとも、自分の努力と工夫でできる生活習慣は改善し、祈る(自分の信じる神を求める)。その度合いに応じて、遺伝子や免疫の変化で、物質化の治癒も比例する。時に、不治の病も(ゆ~か、時に、現代医学もお手上げの不治の病の方が)完治する。時に、この話の現象に各分野の大専門家が刮目する如く、病気に限らずスライドし、消える
③相互に、どれだけ本気かの根本問題。大既成の教祖やカソリックの福者の逸話も、この効果。この距離感じゃ、こっちは反動受けないけど、互いに、ミサイルでも飛んで来ないと、本気にもなれない。
④神側 下層霊障害も、善霊、守護霊では無理。近所の神社仏閣の結界神でも外せるが、治癒は難し~。やはり、互いに、信じるに値する公平調整の大神、指導神クラスの指導