神の理論 ≪theory of god≫ 神の発力 ≪Power of god≫

研修
最高裁判事から女子アナ、痴漢や泥棒まで逢う訳で。後は、個人の公平調整の力量

全部
失敗も、変態も、下心も知られてる…。」なら逆に、開き直って、気負わなくてい~♪

感動
起きてる? スポーツの季節だよ。ミサイルなんか絶対許さない。…一つだけの花、SMIE動画で感動。 

スキル
物事は「つまらん。」優越感の否定論でなく、技術的に見る(分析する)と、自己基準に化ける。神や奇跡ですら。

実力
以上には、出ない…。」それで、環境設定で、奇跡に見えるって、この公平感、凄くね。その辺り、従来の話とは違う自己基準点、味わって頂きたい。

見えない
下が見えると、絶望して、引き込まれて、死にたくなる。上が見えても、この世が汚く見え、死にたくなる。自分と他者との公平調整客観性の教養や訓練の素養ある方でないと、見せない。知らせない。この話が、セレブ御用達の如く…。

勝負
「ど~せ私の仕事(分野)は…。」≪なら自分が変えよ≫ 自己基準の典型論点。正規女子アナの表情で分る、アホ新興宗教と大既成の現状維持の上に、さらに、怪し~霊能分野が、どの程度権威を得るか。客観的、専門的、具体的に伝えられるかの工夫、技術のイメージの勝負。

味わう
「勝った、大した奴、褒めてやる。」「負けやがって、あのバカ、つまらん。」他者基準で楽しむか。「この点が問題だった、それを、こ~克服して、自分も…。」自己基準で楽しむか。その公平視点で、無関係な他者の話も、自分の邁進のヒント、栄養、教養、資産、エネルギー、糧になる。

高価
な道着と防具と竹刀で素振り。ユニフォームとバットとグローブでキャッチボール。後は、「気合と根性♪」の生徒に丸投げ先生問題。つまり、家を建てる大工の棟梁の厳しくも楽し~具体的指導の無い、絶対に勝てない素人の趣味世界。対して、「所詮、芸人ですから。」「所詮、SFですから。」でなく、怪し~霊能分野でも勝てる、大衆(時に指導者)が、気合と根性で逃避する曖昧な視点を、技術化できる努力と工夫の分野のスタア

心境
「強い信仰一生懸命寄進儀式謙虚礼節敬い思いやり希望努力…?でも、衣食住不用の霊に金は不要。大神殿と大人数の豪奢な儀式で【神は偉大】とヨイショしたって【だからやってくれ♪】の命令や取引じゃダメで、【あの野郎】じゃ当然ダメ。何も願わなくても、凡夫の下心や願望なんて、全てお見通し…難しい。一体どんな心境の時に、ご機嫌よく神様は働いて頂けるのでせう。」技術のイメージ概念も無い時代、先代に問うた。「我神成の時也。」

我神
と聞くと、利己的で、ナルシズム。自己に優しく、他者に厳しい、もの凄い思い上った自己都合の、問題の教祖に見えるけど、猫も杓子も「神様、神様♪」ったって、問題は「どんな中身の神か。」常に他者と他者、自己と他者の公平調整を図りつつ、自己のスキルを磨き、集積を神の領域にまで持ってゆかんとする我。つまり、成功のイメージを戒め、技術のイメージに邁進する我。その集積や指導霊体と、常に一体化した我の心境。「その目的に、明確。」ゆ~意味での、揺るぎない信仰や意思の強さ。

勝敗
天気や挨拶代りだったのに、翌朝職場ゆくと、誰一人触れない。新聞も読まない。触れる事すら許さない雰囲気。クライアントでもない、親戚でも、友人でもない、同郷でも、同学年でもない。そもそも、運動嫌い。ど~考えても他人の話なのに、「相手の方が上手かっただけちゃう。」なんてゆお~モンなら、女の子に毒盛られそ~。お上品に経済効果を分析したり、管理するんじゃなく、若干、野蛮だが、実際に効果のある方々。「それくらいにならんと莫大な経済効果は無いよな…。」不遜な事も考える。全国レベルは、事実上、国家・国民のヤル気スイッチ、政治家も利用したくなるわい。

ボケ
旅行の打ち合せ。適当に考えて、「なになに、確か、塩尻から、あずさ30号で…。」何度も乗降時間や場所を聞き直す俺に「お前、ボケてんじゃないの?」母上、久々にカチンと来た。普段、ネットカメラで「今日のボケチェック♪」なんて気軽にやって、母上も笑ってたけど、カチンと来てたんだな~と、反省。ところで、フツ~大人は、クライアントが信じないと、実験したり、証拠出したり、何とか説得の工夫をする。霊話でも25年。ましてや専門なら。それが、誰が聞いても嘘と分る話や奇妙な因果関係を、「正しい♪」の一点張りで言い張る。戦略でなく、幽体が肥大化し過ぎこの世の地縛霊。霊的に、ボケてんじゃないの。

発力
公平に管理し、邁進し、純粋な技術のイメージで、精神の効率よく集積を果たす時、全てが整う≪よろしい≫ 偶然に偶然が重り「偶然にしては随分タイミングい~な。」復刻フレーズ バ~ンと出る。まるで、奇跡か実力以上に見える。物知りで、論理的で、知略・戦略に長けていても、それは頭脳の問題で、人間として優秀だけど、神は働かない。ソコに、思いの管理が加わると、霊体と幽体が一体化する。時に肉体まで。霊体の力が出て来る。副産物として、イロイロ治る。こ~ゆ~話は、どの神話や教義にも、出て来ない。肉体と幽体と霊体が別構造と知る高度霊能者でなければ。逆に、知って確信すると、霊能分野に限らない。ところで、これは、信仰の問題なのか、西洋格闘技でも、できる方はいるのに、若干、信じられてはいないが、発勁法並の技術的訓練の問題なのか。

祈り
祝詞、経文、聖典、神器…。信者に意味はあるが、神仏には全くない。大既成には申し訳ないが、断定できる。「単に、ご自身で発した言葉を言い返されても…。」ゆ~面白見方もあるが、それより、何となく、昔ながらの形式で、「いるのかな…。いるんだったら、一つよろしく。」でなく、本当に「通じる…。」気があるのかの問題。「霊能が無いなら、無いから仕方ないでなく、一方通行でい~から、祈らないといけません。」師匠 じゃ、何を祈る。何で通じる。「気願成就、家内安全、商売繁盛…。」ではない。「積年のこの(公平)プロジェクトを、ど~しても推進したいのです…。」技術のイメージの邁進の思いの管理として祈る。となると、その道の大専門家は、「成功して、金欲しい、モテたい…。」人間的動機はあるにせよ、大衆の願望を凌駕するほど、専門的、技術的に高度に、無意識に、技術的に祈ってる(公平調整してる)。問題は、それで上手く行って、成功のイメージに憑かれた、お笑い世界。日常の思いの管理を忘れる問題。