切口
手品でも、新知識や、新規の教えでもない。従来の神仏で十分。(視覚的な意味でなく)そのお姿が見えるか、見えないかは、高度な教えや悟りでもない。子供でも分る切口の問題。
大〇〇
「確かに、動かせない事実だ…。」と認める方と、相変らず「怪し~が、目をかけてやる♪」の他人事の方。どっちが客観的評価か。紹介者が、怪し~変態キャラの問題もあるが、神仏に素直は高難度。
不安定
だから、最先端には停滞要因(陰の不安定要因)と分っていながら、とりあえず、誰もが身内で、賄を~する。徐々に、自己都合になって来る。安定したら、人間、停滞する。調子に乗って、失敗する。不安定で、技術のイメージで、安定を目指す。そのプロセスを楽しむ。
敵
拷問、虐殺…。人として最低。同じなのは立派な言葉と高価なスーツ姿。よく平気でやれる。信じられない。でも、それが無きゃ、本気にならない。神は、意図的にではないも、自己都合の善悪で分けたがる人間の属性として、結果的に、素材として配置する。神の味方に、技術のイメージに気付かせる為に…。
公平
調整者選抜の高度試験の「金かかって、貧乏人に不公平…。」問題。昔は、「合格者を多く輩出した学校だけが、家の建て方を知ってる指導者が残り、道具と材料しか教えない学部より、圧倒的に有利。」の不公平情況を、予備校や大学院が変えた!」ともゆえる。その点、当前過ぎて、先生も気付かない。高度公平調整の世界。
技術
の極限では、どっちも同じ。後は、「反則しても勝ってやる。」「負けても、潰す。」達人でも、悪党の味方、下層霊。管理はできるが、鍛えられない思い(幽体)の管理術。「ルール内or人権保障or真実発見の正攻法(の公平調整)で、絶対に凌駕してみせる。」(神に加勢して頂く)技術のイメージへの確信があった方が有利。
全体
主義は、国家が一番で、その方法は独裁。個人主義は、個人が一番で、その方法は民主。言葉的には、どっちが公平ゆ~より、鶏が先か卵が先か問題でもあるが、個人的に、恣意的(不公平)になるのは、前者傾向。しかし、神は、個人に働く点で、為政者個人にも働くから、国家体制無視の、超個人主義。当然、その公平調整は高難度。
味方
正義の味方なら、スーパーマンか、スパイダーマン(若干、ハリウッドより)。SF以外、見るからに、悪が蔓延る現代も、歴史上も、神はいない。ところが、「公平の味方…。」となると、正義(公平?)方向のアドバンテージはあるも、管理や邁進に適当だったり、技術的に未熟な方に、単純に味方しない。未熟が成熟する過程で、集積して、より公平(調整)力が増す可能性もある。
証明
25年、警戒しつつ、個人的にムッとしつつ、台風の進路並に入って来る。反動方向でも、スタアの邁進方向でも、俺の指示なんか聞かない、俺の指導神がやってる訳ではなくて、君らの指導神、時に魂がやってる。そんな現象、俺がいない大昔から、フツ~に出てんだけど、大既成の神仏観が、営業用の信者用教えに傾斜し「恐れ多い、信じなさい…。」と丸投げ放置プレイ。直接、神仏自体の研究が足りない結果、俺如きに出し抜かれる。
帆走
「るせ~上司やお局のお世話。社員旅行の幹事なんて、何で私が…。」が、後年「色んな面白い企画や経験、人脈が出来たのに、積極的にやっときゃよかった…。」となる。何を意識するかで変って来る。従来の、説教臭い、抹香臭い教えで、特別な形式でもないと、日常に、本気で神仏を意識することは無かったにせよ、生きるか死ぬか、極限状態でもないと、意識しないと、繋がらない。一旦繋がると、無能なオヤジが、タイミングの問題で、大スタア…。意識しないで、本気で邁進?するのと、意識して邁進。指導神の霊体の加勢が加わり、集積の効率が、数〇〇〇倍違う。称名や団体は、君の好きな神仏や教祖(問題の他者基準系ヤバイのはダメよ)でい~から、意識して「見ていて下さい。私がやってみせます。」神仏と伴に帆走する。「…何時も傍に居て、共にゴール目指して、その命、燃やして~るんだ~♪」