神の理論 ≪theory of god≫ 神の快適 ≪comfort of god≫

復刻
「I feel Coke」カヴァーに大感動。あ~、あの時あ~やっときゃ…バカだった。後悔ばかり。

仕事
真偽の検証もい~けど、一番問題なのは、個人ブログで吠えてる俺や俺の大好きな師匠や師範方の問題ではなくて、宣伝広告も入れて、仕事としてやってるのに、この話ほどの影響力のない、君の現実問題。

指導神
法学部生として、イキがって、「世界法の理論」を読んで、何い~たいのか、サッパリ分らんかった。そんな状態で偉人名出すと「わて、MMどす♪」「MJでやんす、ホ~♪」霊話とリアルさのギャップに「降霊術アルアル♪」となるんだけど、ココじゃ、それだけじゃ終わらない。あの世の指導教官の、この世のお話の中身に入る。

価値
自由・平等は人間的だけど、法の中でも最も経済合理的を追及する商法の先生なんだよな。水田売買の代金支払いを手形でした場合、手形関係と売買契約の原因関係の2本の法律関係が出来る。でも、詐欺売買だとか、売買契約の問題を手形関係に及ぼすと、手形の信用が無くなって、取引が回らないから、原因関係は無視する。そのクールな手形関係の普遍性と、それでも、相手が知ってる場合まで、原因関係を無視するのは人間としてど~なのか。その辺りの融合から基準の着想を得たんじゃね。

世界
とは、他者に影響を及ぼす行動を制度化したもので、自然科学に近い規則とする一方で、人間の自由や平等の実現にとって不可欠な世界共通の規則。」エアロ・オヤジAIの要約。この人、カソリックの信者だから、確かに、客観的で、中立で、無味乾燥な科学の法則に近いけど、やっぱ、それだけじゃ寂し~から、人間的風味を付けたかったんだろな。ソコが、人間主義とも称賛されるし、「運転名人の無免許運転と殺人が同じか。」行政法と自然法の混同だと批判もされる。似た説の方は、ロナルド・ドウォーキンス(Ronald Dworkin)。

降霊
どの仕事も、時にマルチや詐欺団体でも、最初は丁寧に、段階的・具体的指導があるけど、徐々に、「やっといてね♪」となって、「え、やったこともないのに…。」てなって、頭ギ~となって、それでも、試行錯誤で、頭も体もフル回転して、何とか形にする。その訓練でベテランに。3年もすりゃ、部下に同じ事ゆってる。ところで、時間感覚のない神は霊は、それが専門体質の場合、調整してくれない。仕事中の闇金℡どころか、うんこ中、Sex中、時、処、お構いなしで、緊急対処本気の勝負を挑んで来る。その他者基準状態を自己基準状態に調整。自分らしく調整できないと、のたれ死に。「AI時代、誰もパクれる、快適ゾーンから出て、混乱ゾーンに入ら(それが快適ゾーンになら)ないと一瞬で淘汰される。」マコ師範

一発勝負
ご挨拶参照。仕事のストレス解消と健康に、1日1時間と決めて、エアロビクスのレッスンに入ったら、どんどん上手くなって、3か月でインストラクター抜いて。嫌がられるので、毎回、別々のクラスに入ってたら、インストラクターの動きが読めるよ~になって、フリも知らず、初見で入ったクラスで、ソコのベテランより上手いので、嫌がられ、(仕事に支障が出るから1日1時間のレッスン以外、話もしないし、全く付き合いをしなかった事で、見せびらかしと思われた反省点もある)京都中のスポーツクラブを梯子するよ~になった。1年後、大阪まで行って、そこでも同じ現象で、ムカついて、コレが始まる。そんな時、仲良くなった、毎日クラブに入り浸り、一日中練習するインストラクターの卵たちに、「一体、何時間練習してるのか。」聞かれるまでになった。


「京都に敵なし♪」と、自信満々で、大阪ティップ行ったら、ソコは全国レベルの競技の先生の世界。極真空手の世界。「(素人にしては)お上手ですね。」になった。確かに、Vステップ一つとっても、プロ的ではない。ソコで、1ヶ月の基礎講座で、理屈と実技を学んで、1週間休みとって、朝から晩まで、3レッスンを続けたら、最終日、ポッとプロの動きになった。その状態で、レッスンに入ると、再び京都と同じ状態に。ただ、スタジオのでかさと人数の多さで、初見のオヤジと、全面方向転換のバトルは壮観だったけど…。但し、ティップの名誉の為に。これは、あくまで、レッスン・エアロでの話。競技となると、それは、その程度じゃ済まない。「お前、何のプロやねん。」仕事どころじゃなくなるから、ソコまではゆかなかったけど…。

綺麗
ノートを採る、瞬時に分り易い表を作る秀才見てると、長年の事務処理能力の訓練の成果。対して、真面目な鈍才は「後で講義を聞き直そう。」「後で綺麗に書き直そう。」趣味的、観賞用ノート。先生やGPT君に聞くと「後で綺麗にまとめる事も大切です。」となるんだけど、それは復習や演習の話で、2日酔いだろ~が恋人にフラれよ~が、仕事はやんなきゃいけない。それが、「後でやりゃい~♪」姿勢だと、今ある最低限の知識や素材を工夫して「一発で決める。」時間内に、覚える、書く、まとめ切る。集中力や事務処理能力は養われない。特に、試験や試合の実戦感、爆発力、一発勝負の感覚が養われない。林師範の「今でしょ。」芸能師匠の一発撮り。「練習だからって、1日3試合もやると、疲れるし、最初から手を抜く癖が付く。」イチロー師範も、要は、一発勝負の感覚の話してんじゃね。

結論
先に人間的意味を付けてしまうと、価値判断ありきで、人間の恣意(自己都合)を抑制する客観、中立、公平を旨とする法(国家の強制力を伴った公平調整基準)には、お人形さんアイドルの完璧なフォーメーションに「整形ちゃう?」お笑い。余り、理論的には美しくないジレンマ。ソコで、じゃじゃ~ん。「技術のイメージ」の登場となる。ま、どれだけ吠えても、田中師範の足元にも及ばない、俺の経歴や経緯からしたら、アカデミックの意地とプライドゆ~意味でなく、霊子や幽子の存在が科学的に証明されたら別論、社会科学的な証明過程がそぐわない。アカデミックに採用される事はないけど、それでも、「ゴチャゴチャ難し~ことゆってるけど、結局は、公平調整でしょ。」は、あらゆる専門書、専門家に対する殺し文句として使える。因みに、「言葉の最後にオマケ程度に、公平性の確保が必要…なんてゆ~けど、何で、学者は、正面切って、公平調整ってゆわね~んだ。」とGPT君に尋ねたら、「(愛や平和と同じで?)余りにも当り前の事は、気付かないか、恥ずかしくてゆえないのかも…。」だと。(でも愛と平和より技術的・具体的♪)