神の理論 ≪theory of god≫ 神の見習い ≪apprentice of god≫

贈答
新作チョコレート作って、全国販売して、贈答用にヒットさせよ~思たら、大変な労力と知恵と工夫が必要で、受験の先生や参考書も同じ神の技術のイメージの領域下層霊の属性を示すネタとして使ってるだけ。「糖質高い。」も「頭脳だけで考えるな。」の例示。

侵攻
今の剣道と昔の剣道は違う。」剣道誌 「面胴小手と、やること決ってるのに、長刀みたいに、でも、増えたかな?」と思ったが、「50年前の剣道は、遠間で勝機を探り、一旦間合いに入ったら、捨て身で攻めたが、今は、最初から近間で、とりあえず試合に負けない様に、防禦から入る。」んだと、ホホ。(⇦ココ💛)

真偽
表現の自由の単純計算で「半分は本物、半分は偽物。」と、表現の自由が無く、政府のゆ~「全部本物。」と、「今の時代、どっち信用する?」って話。表現の自由が全面的にい~って訳じゃないけど、あんな悲惨な動画がバンバン入って来て、どんな体制でも要求される良心で「泣くな。」ゆわれても、裸の女見せられて「立つな。」みたいな、無理筋話。だから、今の時代、見せたら、戦略負け。

読者
やファンが増えるのは、モチベーション的には有難いんだけど。先ず、フザけた例示や下ネタに「下らん。」は分るけど、この話の内容(本質)に一喜一憂。「許せん。」とか「許してやる。」ゆ~、評論スタンスで読んでる方。「神はそんなことない。」じゃ、読むなよで、そ~ゆ~神なんだから、意味ないだろ。プライドが捨て切れない。「物事は批判的に。」自慢の頭脳で読んでるレベル。次に、人霊の中でも、「上の世界にゆくのは3分の1。」復刻フレーズ そんな中でも、神になるのは圧倒的に少数。しかも、神の在り様は、ここまで平易に、分り易く説明しても、頭で理解できても、「祈るから、やって下さい。」大衆に理解できるレベルじゃない。となると、政治的・営業的には意味があっても、多いからい~ってモンでもない。

自問自答
神霊術の具体的な話に入って来ました。本気の方は愛しの弟子神や霊体とは、脳ではなく、「胸の鳩尾辺り、ダイヤモンド形状の思念域でしか対話できない。」復刻フレーズ となると、ソコに「いる。」と確信し、自分から発問する。最初は、「ね~ね~、いるんなら答えてよ…。」の疑念と余裕から始まって、単に空想的な自問自答から、半分は的を得た話になって、時に現象化して、徐々に本気になって来る。しかし、直接対話できたら下層霊神や高度霊とは、直接対話できない神や高度霊は、神の知恵や力を、思念域に残してゆく。それを、自分が、主体的に、選択して、受け取るプロセスを辿る。多少迂遠な、自己基準神の属性。あくまで、神のゆ~と~りでなく、自分の判断。従って、ボ~っとして、「いるんなら助けてよ。」でなく、自分から、本気で発問しないと始まらないし、上達・発展しない。これが本当の祈り。祈りの技術のイメージ