神の理論 ≪theory of god≫ 神の時代 ≪generation of god≫

悩み
個人の悩み。お客との悩み。自分の出世の悩み。社会の公平調整の悩み…。

お零れ
宝籤に当るか…。」に悩むより「宝籤制度で、社会を公平にできるか…。」に悩む側。

政党
自由、民主、人民、共和、共産、社会、立憲…。公明が近いが、公平党って無い。何でだろ…。若干、自分に都合が悪いのか…。

現実
深夜(そっちは早朝)に、神仏とアイドルを説いて、世界のセレブに注目される誇大妄想の夢の世界。「んなバカな…。」「アホか…。」世界のセレブと共感♪

肉体
の無い世界なんだけど、有限責任の肉体世界で培った、技術の高度化や公平調整のノウハウの集積が、肉体のない無限責任のあの世で、肉体人間から見たら、無限の現実的な力を持つ。

自信
はいるんだよ。「迷信だ!」何だゆわれても。それが一番の、自信。問題は、どんな神か、それを、自分の自信? 留意下げるだけなく、他者の自信になるほど提示できるかの力。神の力。

迫力
演出が本業の芸能分野にして、高度な公平調整を目指さないと、神は働かない。ましてや、他分野で、余りそんな話に注力してると、射法八節の無視直接、的を射抜く迫力が無くなり、的外れ

共通
してるのは多産と豊穣。要は自己都合。特にヒンドゥーの神は変態ばかり。そんな問題より、その姿形を、雲母を抽出、使って、損傷を抑えたり。ガラスの向うから永続的に見えるよ~にする。その技術は凄い。」母上。

強者
立場的、物理的、肉体的のみならず多数…もあるけど、あくまで人力世界。「仲間意識で高揚感…。」元気な宗教団体見てると、霊念巨大な団体的に働きそ~だけど、小さな個人に働く。個人に働けば、団体も動く。一つの石で、石垣全部が崩れる。その方が効率的。

神力
教えは説いても、は説かない。その割に「教えを守らないと天罰が下る。」にゃんて、信者の人力を楯に、教団の長が、格闘アニメの台詞みたいに平気でゆ~。普段は余り自信ない。確かに、現実の力が無い神仏は絵に描いた餅公平調整の強大な力を説明できない弱さ。

経費
どんな高度な神仏扱ってても、団体化したらいるよ。霞食って生きてる訳じゃないんだから。肉体持ってる事務、設備、警備、清掃への給料も払わなならん。団体の維持費ってだけの話。通常の団体と同じ。信教の自由で非課税は、そろそろ他目的団体との差別になる時代。

逆転
意気に感じて、他者の幸福を願う時、純粋だから、やたら叶う。しかし、常に他者を思ふのは、それ自体が他者基準。続けるのは自己の自己基準の努力。「神と出会って、他人の幸福は叶うのに、何で私の幸福を叶えて下さらないのですか。それが一番の悩みだった…。」師匠

苦悩
今は面白可笑しく語ってるけど、大ファンでも「金返せ。」愛し~人に入信されてみ、死ぬ思いだぜ。相談して「怪し~団体。」とは分っても、神仏・霊の真偽は、専門家も分からん。でも、だからこそ、本物に出逢えた今がある。その迫力が、この状況。面白ネタでは測れない。

願望
「い~子にしてますから、サンタさんプレゼント頂戴♪」大概、自己都合。大人の世界。神の公平調整とは、一致しない。自己都合の利益が適うと、逆に不公平で、命が狙われる。それを一致させるには、都合のい~願いでなく、日夜、社会の公平調整を本気で考える訓練を経る必要がある。

時代
80年代までの日本は、政治家や正規メディアの問題じゃなく、日本特有の宗教事情。触れること自体が気味悪い。「相談相手が…。」家族間どころか、警察・検察まで「筋が悪い。」「触らぬ神に祟りなし。」「変な奴はいても、悪い人はいない。」世界。教祖のやりたい放題。芸能師匠まで話たがった、しょ~こちゃん事件のお蔭で、やっと、目が冷めて、語れるよ~になった。

洗脳
最初にアダムとイヴが出て来た辺りで「遺骨でも発掘されたんかいな…。」と思いつつも、提起される地球規模の問題を深刻に考えて、最後に、「私が救世主です♪」のオヤジで「営業か…。」の16歳。「入室前にご寄付を♪」「100円…フツ~10000円ですけど。」「講義前に…。」「退出前に…。」「質問はございますか?」「教祖の出る前は、悪の時代で、全て悪の金。お前はアホか、金返せ。」「な、何を失礼な、信じられない、ギャア~。」神仏巡りの青春。

証明
権利は見えないから、紙に食っ付けて、有価証券。コロナも顕微鏡では見えても、肉眼で見えないもんで、この科学の時代で、リアリストの格言「見えないものしか信じない。」の上ゆく、あるなし論争。人権正義も見えない。ましてやなんて…。そこで、イベントやったり、イロイロ、ヴィジュアル化工夫すんだけど、あんなに形式に煩い割に、「偶像はあかん…。」なんて真顔でい~おる。その点、講義と映像。今んトコ、解説付き現象化が一番効率的で、この分野で、誠実な証明

法則
科学の法則は「~である。」の世界で、社会は「~すべきである。」の世界。だもんで、「社会は、フィクション(仮想現実)」なんてゆわれんだけど、その点、宗教は、「~すべき。」世界と「~である。」世界が一体となって厄介だ。教祖の主観で、宇宙の法則まで決まる。アダムとイヴから始まったら、遺骨も化石も、その前も何も、それが真理になる。その点、社会や法の根源の価値基準≪公平≫って、「おやつの分け方が不公平。」小学生でもゆ~けど、科学でも社会科学でも、共通の法則

任意
捜査か、意思と自由を抑圧する強制捜査か。」の区別で、自由を建前とする民主国は、毎日喧々諤々。権力者からしたら面倒臭い。非難しつつ、憧れの独裁国なんだけど。その点、民主国でも、否、民主国だから、自由競争で、合格や出世は、事実上の強制。よって、勝組は勝ち誇る。しかし、如何なる国家体制であれ、その体制の中での公平調整は任意。完全な個人の自由意思。どの程度本気かも自由。ソレ以前に、ソモソモ、篤信家や修行僧ですら、死ぬまでに気付けるか。読者の最低限のアドバンテージ。神世界の自由競争は、高度で面倒臭い。