神の理論 ≪theory of god≫ 神の制約 ≪constraint of god≫

悪気
はない…。」純粋? 平気でやる奴の方が怖くね。

進軍
して、敵が死んだり、怪我したり、多少の誤爆、一部暴走も、戦争分野じゃ仕方ない。同情してる暇はになる。余計な事、捕虜や住民を、残虐に扱ったり、蔑んだり。成功のイメージが凌駕しない限り、≪よろしい≫ 自然に整う。

法外
ほど、神は喜ぶ。何故なら、こっちの教えが真実の法だから♪」の教えを、純粋に信じ、法外に見えないよ~、長年、手を変え品を変え莫大に集め、豪奢な支持者や不動産維持してるのに。「法外な場合、反省(余熱冷めるまで皆様に合わ)して、自主制限します。」最早、我々共同社会の考える自己反省できないのが、他者基準神の属性

〇側
い~大学出て結婚してる事務のオヤジに、政治や宗教の話をフルと、最初は新聞ネタ程度だが、徐々に真顔で「実は秘密の〇〇結社が関与してるらしい。」「何処で知ったの?」「Youtube。だから、私らは、ど~しよ~もない。」結構いて驚く。確かに、最近の奇妙な事件。俺も、こんなモンやってて、人の事ゆえんけどぉ~。大正規よ大既成よ、西でも東でも南でも北でも、君ら自己基準側には、本気で、頑張ってもらわんと…。

動員
され、強気な無責任言動のネット民も、やっと本気になる。他国にいても、日頃堂々と戦況分析してた動画のYoutuberの怯えを見て“自分の事”として感じる。命の危険で初めて、無神論者も「神よ!」となるよ~に。温暖化でも核でも、他人事のうちは、神は働かない。立派な立場の立派な君の立派な話が、当事者が見て、ネットウケの学生の評論に見えるのは、自分事でないから「命がけ。」その本気が、進行方向か反対方向か、どっちに火を点けるのかは、次の論点。

異端
の自由の論点の次に「何を考えよ~と内心は絶対自由だが、一度言動に出すと、他の人権との関係で、絶対無制約ではない。」の論点が来る。次に来る論点は「どの程度、どの範囲で制約できるか…。」最初の論点は、勉強不用。個人的経験で、熱く語れる素人大好き論点なので、学生も飛び付くが、「共同社会に於て(公平調整上)絶対無制約な訳なし。」が常識の実務家は、専門家としてメディアから呼ばれると、当然に、次の、調査・研究しないと分らない制約や被害の実態から語る。ところが、布教のプロで、優遇税制まで受けてる金満教団が、論点ズラし、素人論点に止まり、素人ウケのい~異端の自由を叫び、それ也の賛同者も手伝って、話が合わないよ~に見せる戦略♪ 宗教団体に限らず、どっかの国の官僚も、毎度、顔芸のオプション付きでやる手法。

偏向
報道は許せん。」からって、まさか「加害者と被害者を絶対平等に扱え!」って話でもないだろ。不公平(特に犯罪の)の臭い(嫌疑)がした場合、正規メディアは、時に、大人の事情で動けない警察や検察より迅速に動く役割があるんだから、報道の目的は、「共同社会を公平に戻す為。」ゆ~事になる。その中で、取材や編集が雑だったり、個人攻撃や営利的スクープに傾くと、「人権侵害。」だの「偏向報道。」となる。つまり、人権に配慮し、素材を丁寧に、公平に扱う「公平報道。」は未だ手段で、目的は、「不公平社会を公平に戻す報道。」HP時代から、毎度説教されて鼻白む、お宅の部長さんに、盛んに「スポンサーや専門家のヨイショの前に、ゼミやれ。」ゆ~てたのは「(怪し~霊能者にゆわれてフテ腐れる前に、自分らで)ソコに気付け。」ど~でした?