神の理論 ≪theory of god≫ 神の権威 ≪authority of god≫

権威
強制でも洗脳でもなく「私もできる♪」個人の夢と希望で、自主・自律的に従わせる力

恩恵
トラブルばかり…。」要は、不公平な事態。それを、逃げないで「解決。」公平に戻す進化する。集積する。紛争は神の恩恵

判決
国家権力が、自分の不都合を隠す為の、検閲や事前抑制。それを忖度した最高裁の判決はアカンけど、自称、あの世の最高裁の裁判官の俺はやるで、自己基準か他者基準かで…。

神性
肉体人間、自分が第一。も~けや体裁、支配欲が有ってもい~♪ しかし、それを凌駕する教育欲。誰にゆっても納得される圧倒的な説得力自主・自律の精神。数億年のあの世で悟る、自己基準に教育欲

深夜
血圧計って上112下70で、血糖値は72。無茶苦茶健康やん♪ 個人的問題で失礼だし、こんな話題で、あんたらと対話してるのも奇跡だけど。緊急事態でもない限り、肉体との調整が一番大事。あっちは、眠らないからねぇ…。

社長
や上司に話がゆくのも難し~が、それより全国のニュース。さらに、その遥か上のに話がゆく方が、難し~だろ。問題は、その難しさの基準の問題。大学者だから、名作やヒット作を作れる訳でもなく、知能ではなく、切口工夫の問題。

矛盾
人類全体の公平調整の差配をし、全知全能で事前に分ってるのに、個人的な願望で、動くとは…。」師匠が、人間的に、特別立派な訳でもないが、これが、修行や教えに忠実ではなく、神(や仕事)に対峙するに、人間の本気度、真剣度、謙虚度(幽体管理)の問題。

偶然
ですか、それとも、お宅の力ですか…。」「余の力じゃ。」なら分り易いけど、それじゃ、他者基準になるんで、飼育したり、治療した動物を、ワザワザ野生に帰す。本来、自分の力で対処すべき処を、偶然の形で、呼応して下さる処に、自己基準的な教育の意味があるんで…。

反乱
投書時代にゆったけど。上に理想的な意見して、通らないから英雄の予防線。それが間違って通ると、「じゃ、やって見ろ♪」で、明確な具体策もないのに全責任かかって、騒ぎ大好バカしか動かないし、大変だった経験。反乱より具体策具体策の実現に、技術のイメージの神は微笑む。

奇跡
「ご親戚が重篤。強い台風が来てますから、とても飛行機は飛びませんよ。」俺 (『台風来ますか』≪来≫『予約した全日空機は、飛びますか』≪不可≫『しかし、お願いします』≪…諾≫ 神語翻訳)「台風よ、西。」師匠「先程、台風は、急に西に向を変えました。」当時のお天気姉さん。偶然と思ったけど、そんなことが、毎度続く。

伝説
真剣は、バカにされて、恥ずかしい。しかし、こんなダメな俺でも、真剣だ。」エガちゃんに涙涙。多少営業が入るも、それを凌駕して、飾らない、素のまんまの強さ。霊能半グレの俺でも、どっか権威によりかかる。さらに、他者の生死を請負う言動までして「立派に見られたい♪」捨て切れない弱さ。カミングアウトできない、ズルさ、飾る弱さ

政党
高度に公平な選抜試験を勝ち抜いた、頭のい~官僚に任しておきゃい~んだけど。考えてみりゃ、頭はい~けど、民意が反映してない。そこで、政治家に期待するが、天才もいるがアホも多い。抑制と均衡で、肥大化阻止の筈が、議院内閣制じゃ、行政と立法が与党を占めるので、権力分立ではなく、与党と野党の対立構造になる。そして、何時も、野党が情けない。

真剣
セクハラ・パワハラ・モラハラ・ミサイルハラはいかんけど、人間関係の悩み聞いてると、仕事出来る奴の悩みじゃなくて、大概は仕事出来ない奴の悩み。それも、一生懸命やって出来ないならまだしも、テキト~。職場は、自分が悩む処じゃなくて、他者の公平調整の為に仕事する処。年下でもバカでも、本気の奴の凄み。「神頼みより、本気で仕事してみな、大概は、解決する。」

仕事
神を信じなくても、現代国家の堅気の仕事は、須らく、どの分野も、自動的に、高度共同社会の公平調整を目的とした仕事。つまり、自動的に、霊的には、技術のイメージになる。その中で、自由競争に勝って調子に乗ったり。負けてイジけたりで、成功のイメージに憑かれるかで分かれる。「何が神だ。」俺に文句い~つつ実はそれは自分の怠慢への予防線自分の職務への本気度、真剣度、謙虚度の戦ひ。

権力
上になると、こっちが挨拶してたのが、あっちが挨拶して来る。今まで、私物の置場所にまで気を使ってた事が、回りに気を使われ、当り前になる。徐々に、当り前が拡大する。たまに、生意気な部下に指摘されると、無性に腹が立つ。しつこいと、殺したくなる。民主(多数)も独裁者も、神ではないし、幽体は鍛えられない。調子に乗って、肥大化濫用(不公平)の危険が有るから、権力を抑制(調整)し、個人を尊重する(憲)法の支配。(憲)法治国家の立憲民主主義。立憲君主主義。立憲共産主義。面倒な肥大化抑制制度。

台風
今は(公平調整)上手になって、外に出さないどころか、「神なんて怪しい。」平気で合わせるけど。若い頃は自慢なのか気が張ってるのか、ど~しても出ちゃうし師匠んトコに通ってるのがバレちゃう。それで、無神論の家族との中が怪しくなって、そんな時、コレやったら、偶然か知らんけど、本当になって「ぐ、偶然だ。そんなバカな事があるか。」親父は激怒。別に、金を注ぎ込んでる訳でもないし、誰に迷惑かけてる訳でもない。究極の必要性や緊急性があって出来るエネルギーの公平調整話なのに、ま~生の神仏の扱ひは難しい。

二重の基準論
表現の自由が、経済的自由より優越するのは、表現する事が、も~ける事より優秀な訳ではなくて、アイドルやお笑いを利用した、「不当なも~けだ。」と禁止されたら、「不当でない。」と表現し(文句ゆっ)て、メディアで話題になって、世論になったり、選挙で回復できるが、「不当でない。」表現自体を禁止されたら、メディアで話題にならず、世論でも、選挙でも回復できないから。回復できないなら、個人は尊重されない。つまり、世論喚起や選挙が手段なのは当然、表現の自由でも、経済的自由でも、それは未だ手段で、その目的は、個人の生命・自由・財産の尊重。個人の尊重。ところが、最近は、表現の自由で「疲れた…。」し、経済的な自由(コスト安)を得る為に、バンバン人が死んでる。目的と手段が逆転してる。

悩み
25年前、新京極のSCで、アンケートに応える形で、さすがに、神や霊には触れてないけど、面白半分に「この世はイメージで出来ている。」イメージの話したら、一気に上に行って驚いた話したけど、今から考えると頂点までゆく方って、ってんじゃなくて、上にゆき過ぎて、人間関係より、「仕事は本気だけど、プライベートじゃだらしないし、こんなになっちゃったけど、神って何だろ…。」と悩むんだな。大既成も「ヨイショすれば神は応える♪」営業用大衆相手だし。そりゃ、グレるのも出るわな…。俺も、仕事で頂点まで行ったどころか、ドロップアウト組なんで、エラソ~な事もゆえないが、テキト~ながら、テキト~どころか、ち~とも能力ない奴の訳の分らん人生論神仏論より、生の神仏自体を知ってんで、事後も事後、太古の教えより、将に、神仏のLIVE感。知ってる限り、誠実に、伝えてゆきます。